2006年05月12日

can they hear?

this week's Nature contains a brief on a research of marine mammal's communication.
it says that Bottlenose dolphines can identify others by thier names and even they might be able to talk about others behind thier backs by using thier names in the conversation.
wait.....why do we, people, make sounds? mostly, we make sounds to communicate with each others. the sounds should follow some kind of rules varies with cultures and have meanings.

if that happens to other creatures, in this case the dolphines, the sounds should follow some certain rules, it should be.

suppose they can communicate so well as we human being do, my question is that if they could hear/notice any kind of abnormal signals emitted by activity of the earth, such as an ocean bottom earthquake.
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今週号のNATUREでは、イルカがお互いの名前を呼び合って、コミュニケーションをとっているかもしれない、というニュースが載っています。
 僕らが、口から音を発するのは、コミュニケーションのためです。発する音は、あるルールに従って、どんな音も意味を持っています。文化が違えば、音が違います。
 それを、ほかの生物に当てはめてみると、同様に発する音はすべて、あるルールにのっとって、どんな音も意味を持つ、ということになります。 ルールにのれば、名前も識別できるわけです。
 
 さて、僕の興味は、この手で触れる固い地球です。
 (大気も手で触れる、とか水も凍れば固くなるとか、そういう細かい事は抜きにします。) 
 海底で地震が起こりそうな時、音をよく伝える海の中ではなんらかの音が聞こえる、と考えてみます。
 すると、音でコミュニケーションをとっているイルカ達は、その音が聞こえる、かもしれません。
その音について、何か仲間どうしで、話をするかもしれません。以下、イルカの会話。

 ”そういえばさぁ、昨日、沖縄のあたりで変な音しなかった?”
 ”あ~、聞いた、聞いた。ちょー、変だったんじゃない?”
 ”やー、知らんかったばぁー? 反応が遅いばーよ。”
 とか、
イルカの会話を解読できると、将来の地震予知につながる? とか、あくまで世間話のレベルですが、そういうことが可能になり、 イルカ・サイエンティスト(イルカを研究する人間ではなくて、科学に興味のあるイルカ)とか、イルカ・レンジャー(イルカを助ける人間のレンジャーではなくて、災害時に活動するイルカ)とかがいたりして、人間とお互い協力し合えるかもしれません。 
 
 ニュース原文は、以下のリンクをどうぞ。

http://www.nature.com/news/2006/060508/full/060508-2.html#B1


*僕は、政治の人間ではありません。しかし、ブログという手段を持っている以上、少し触れないわけにはいけません。「この世でもっとも悪いことは、善良な人間が、他人のする悪行にたいして、何もしないことだ」というアインシュタインの言葉もあります。
 基地の建設にまた一つ保証がつきました。永久に話し合いをしていて、もらったほうがよかった。 ただ、普天間はうごかなければならない。 知事がメディアの写真に載るたびに、健康状態を憂います。沖縄の歴史と未来を作る決断をしなければならない重責を、ひしひしと感じます。 結論がでることは、明らかでしたが、結論に至るまでの時間をもっと、のばしてほしかった。 問題が、住民のレベルに落とされました。 僕は、断固あらたな基地建設反対を支持します。 普天間は、日本からの資金援助を徐々に減額して、自然消滅を待ちます。過去50年以上、基地の存続に耐えたのですから、鉄がさび付くように、徐々に撤退もしくは、県民に害のない代替案が探せるのを待ちます。その間の事故・事件については、補償をきちんとしてもらう枠組みを構築します。政治家が、力を発揮するのはそこです。新しい基地を建設の実行に移す前に、その条件をきちんと整備してから実行することにします。というスタンスで、僕は推移を見守って行きます。
 断っておきますが、僕は政治的な議論をここでするつもりはありませんので、以上の意見表明にかんする議論は、削除します。あしからず。   
 



Posted by shu at 13:25│Comments(0)
 
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